スエズ運河はエジプトにあり、全長193km、幅200mほど、深さ24mほどという巨大さです。完成当初の幅はもっと狭かったのですが、巨大なことに変わりはなく、建設期間は1859年から1869年まで10年を要しました。
この頃には既に産業革命が進展し、大規模な工事用機械も登場していました。それでも、必要な人員は多数に上りました。そのためか、工事を請け負ったフランスの会社はトークン(代用貨幣)を発行しました。トークンとは、政府が発行した正式な貨幣でなく、私企業が発行した貨幣です。
そこで、スエズ運河の位置を確認した後、そのトークンについて見ていきましょう。
スエズ運河の位置
スエズ運河は、エジプトにあります(下の地図の矢印部分)。
北側は地中海、南側は紅海とつながっています。そこで、矢印部分の陸地を削って船が通行できるようにすれば、ヨーロッパとインド方面の往来に便利です。アフリカをぐるりと回らずに済むので、大幅な時間短縮になります。
「ならば、運河を作ろう!」ということで実際に作ってしまったのですから、大変な行動力です。上の地図では分かりづらいので、拡大した地図を下に掲載します。赤の四角部分にスエズ運河があります。
発行されたトークン(代用貨幣)
では、トークンをご案内します。スエズ運河建設中の1865年、ボレル、ラヴァレーの両氏が設立した会社から4種類発行されました(5フラン、1フラン、50サンチーム、20サンチーム)。
この通貨単位は、フランスと同じです。フランスの私企業が発行したためでしょう。なお、5フラン銅貨を目にする機会は、ほぼありません。よって、この記事で画像付きでご案内するのは、5フランを除く3種類となります。
5フラン銅貨がどれだけ少ないか?について、『Standard Catalog of World Coins』(通称「KMカタログ」)によると、以下の趣旨の解説があります。
19世紀発行の『Coins of the World』に掲載されたコインが唯一の例であり、現在のマーケットで目にするレプリカと混同しないように注意。
すなわち、5フラン銅貨は、ほぼどこにもありません。では、3種類のコイン画像をご覧ください。
1フラン銅貨
コインのスペック
- 額面:1フラン
- 年号:1865年
- 材料:銅
- 直径:27mm
- 重量:7.75g
- グレード:EF
50サンチーム銅貨
コインのスペック
- 額面:50サンチーム
- 年号:1865年
- 材料:銅
- 直径:21mm
- 重量:2.38g
- グレード:EF
20サンチーム銅貨
コインのスペック
- 額面:20サンチーム
- 年号:1865年
- 材料:銅
- 直径:18mm
- 重量:1.4g
- グレード:F
上の3枚をご覧いただきますと、同じデザインだと分かります。ただし、コインの形が微妙に異なります。
- 1フラン銅貨:24角形
- 50サンチーム銅貨:24角形
- 20サンチーム銅貨:20角形
円に近いですが、多角形です。このため、コイン画像を少し遠くからご覧いただきますと、「そういわれてみれば、円でなくて少し角があるかもしれない」と感じることでしょう。では、コイン内部のデザインを紹介します。全て同じですから、1フランを例にします。
表のデザイン
コインの真ん中に帆船が描かれています。1860年代、既に汽船が一般化していましたが、デザイン重視で帆船を採用したのかもしれません。
周囲に書いてある文字は、フランス語で「TRAVAUX DU CANAL DE SUEZ EGYPTE」です。英語で「WORKS ON THE SUEZ CANAL, EGYPT」となり、「スエズ運河の業績」という趣旨になります。
裏のデザイン
裏には、額面が表示してあります。
コインの外側に書いてある文字は、「BOREL LAVALLEY ET COMPIE」すなわち、「ボレル・ラヴァレー会社(BOREL LAVALLEY AND COMPANY)」です。この会社がコインを発行しました。そして、BorelとLavalleyというのは2名の名前です。
内側の文字は、「BON POUR 1 FRANC」すなわち「1フランとして使用可能」という趣旨です。
トークンの発行目的と年号
では、このトークンを発行した年号や目的について考察します。まず、トークンの発行年は1865年のみです。その一方、スエズ運河の工事期間は1859年~1869年ですので、不自然な感じがします。
このトークンは、BOREL LAVALLEY AND COMPANYで働いた人々に支給され、そして、労働者はこれを使って食料品などを購入していた模様です。ならば、工事が始まった1859年前後に発行されるのが自然です。これを理解するには、誰が工事をしていたか?を理解することが必要です。
強制労働(コルヴェ)から重機へ
この工事は、エジプト人の強制労働(コルヴェ)によって実行されました。もっと端的に書くなら、奴隷的労働です。
移動費・食料等は全て労働者が負担し、給料もありません。休みなく労働が続いたため、食料を生産する余裕もなく、一族が飢えることも珍しくなかった模様です。
この状態に対し、イギリスが異議を唱えました。西欧諸国が世界各地に領土を拡張していた時代ですから、お互いにけん制し合っていたのでしょう。この異議を受けて、エジプトとナポレオン3世はコルヴェを禁じ、1864年以降は強制労働に頼ることができなくなりました。
すなわち、労働に対する給料が必要となります。しかし、会社側としては、できることなら支払いたくありません。そこで、必要な人数を減らすべく重機に頼ることになりました(ということは、それまでは手作業中心…)。
こうして、BOREL LAVALLEY AND COMPANYが採用され、彼らは重機を使って工事をするとともに、給料支払い用のコインを製作したという流れになります。
ちなみに、フランスの行動を批判したイギリス。このイギリス自身がエジプトで鉄道を建設する際、コルヴェを使っていました。「自分はOKだけれど他人はNG」というのは、よくある話…かもしれません。
トークンを発行した理由
次に、私企業がトークンを新規発行した理由です。当時のエジプトはほぼ自立した状態ながら、オスマントルコの支配下にありました。すなわち、オスマントルコの通貨が流通していました。では、わざわざ新規発行せず、オスマントルコの通貨支給が合理的ではないでしょうか。
この点につき、2つの可能性を検討してみましょう。
可能性1:通貨不足を補う
トークンを発行した理由としてありうるのは、エジプトの法定通貨が不足していた可能性です。1700年代末~1800年代初頭のイギリスでも、貨幣が極度に不足して私企業がトークンを発行しました。
ただし、筆者が調べた限りでは、当時のエジプトで貨幣が不足し経済活動が混乱したようには見えません。
可能性2:利潤の極大化
もう一つの可能性は、植民地経営的な思考です。
会社は、どうすれば利潤を極大化できるでしょうか。仮に、労働者にオスマントルコの法定貨幣(キルシュなど)で給料を支給するとしましょう。すると、労働者はそのお金で自由にモノやサービスを買います。そのお金はオスマントルコ国内のどこでも通用しますから、色々な場所で使われます。
これは、給料を支給する側から見ると面白くありません。そこで、自社発行のトークンで給料を支払い、そのトークンを使って自社商品を自由に買えるようにします。
すると、トークンは法定貨幣の強制力がありませんから、労働者はモノやサービスを買うのに苦労することになります。他の店で商品を買おうとしても、店の主人から「何だい、これは?キルシュで払ってくれないと売れないよ!」と追い返されたかもしれません。
すなわち、必然的に自社製品が売れることになります。労働力を使ってビジネスを展開し、給料の使い道もコントロールする。これが、利潤極大化を目指すなら最善です。
こちらの可能性の方が高そうです。
トークンの材質
なお、トークンの材質は銅です。フランス本国の1フランや5フラン、そしてオスマントルコの20キルシュなどは銀貨でした。このため、トークンに「1フランとして使用可能」と書いてあっても、そのコインの素材に1フランの価値はありません。
労働者は、トークンの素材価値を頼みにしてどこかで支払い手段にしようとしても、銀でないので二束三文の価値となり、必然的に自社の商品が売れることになります。
下は50サンチーム銀貨で、1868年にフランスで発行されました。スエズ運河建造中のフランス本国では、50サンチームは銀で作られていました。20サンチームも、銀です。
コインのスペック
- 額面:50サンチーム
- 年号:1868年
- 材料:銀
- 直径:18mm
- 重量:2.39g
- グレード:F-
歴史を知るともっと面白い
以上の通り、目に見える部分(デザイン)だけでなく背景にまで思考を巡らせると、コインはとても興味深いです。ここで御案内している3枚のコインには、労働者の苦労が染み込んでいるかもしれません。そう考えると、大切に保管して後世に伝えたいコインです。