フランス皇帝ナポレオン3世は1852年から1870年にわたって帝位につき、この間、数多くの金貨が発行されました。この金貨を、一般的にナポレオン金貨と呼びます。
そこで、デザインを確認するとともに多数の金貨が発行された背景を概観します。
20フラン金貨の外観
コインのスペック
- 額面:20フラン
- 年号:1868年
- 材料:金
- 直径:21mm
- 重量:6.45g
- グレード:EF
表の面
表はナポレオン3世が右向きで描かれ、月桂樹の冠をかぶっています。周囲の文字は皇帝ナポレオン3世とだけ書かれており、フランス革命より前の旧体制とは大きく異なります。
比較のために下のルイ16世の金貨を見ますと、周囲にラテン語がたくさん書いてあります。「神の寵愛を受けてフランス及びナバラの王となったルイ16世」という趣旨で、イギリス等でも同様の趣旨の文言が刻まれています。
ナポレオン3世の文字は、ナポレオン1世の刻印方法を受け継いでいます。そしてナポレオン1世は神によって選ばれたのではなく、民衆の支持を得て選ばれました。これを反映して、神によって~の部分が削除されたのでしょう。
なお、ナポレオン3世の肖像の下に「BARRE」の文字があり、これはデザイナーの名を刻印したものです(Albert Desire Barre)。また、名前の上に星型のような絵があります。これは蜂を示しており、パリで製作されたという意味です。
裏の面
裏の面は周囲にフランス帝国と書かれ、中心部にナポレオン3世の紋章があります。ナポレオン3世は選挙を経て大統領になったものの、クーデターで独裁政権を樹立したため紋章の最上部に王冠があります。すなわち、共和制ではないことが分かります。
画像引用:Wikimedia
なお、紋章は何となく描かれているのではなく、各部位それぞれに意味があります。そこで、いくつかの点について紹介しましょう。
ワシ
ワシの図案は、1804年にナポレオン1世によって定められました。ワシは強さの象徴であり、ギリシャ神話のゼウス神やローマ神話のジュピター神などに関連して登場することもあり、各国の紋章で採用されています。
ただし、ワシの描き方がやや写実的なのが特徴的です。紋章のワシといえば、例えば下の銀貨のように紋章独特の感じがあります。ナポレオン金貨のワシは、それとは大きく異なっていることが分かります。
勲章と頸飾(けいしょく)
下の画像の赤枠(Y字形で囲っている部分)に、勲章と頸飾が描かれています。勲章は赤枠の一番下にあるレジオンドヌール勲章(フランスの最高勲章)で、頸飾は首飾り部分です。
頸飾の最下部に「N」の文字があることから分かります通り、これはナポレオン1世によって制定されました。
下の画像は、ナポレオン1世が受章した実物です。頸飾部分は16個のメダルと16個のワシをつないで作っており、これらの両脇を鎖で固定しています。
画像引用:Musee de l'Armee
ちなみに、日本の最高勲章は大勲位菊花章頸飾(だいくんいきっかしょう・けいしょく)です。
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大勲位菊花章頸飾【日本の最高勲章】
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マントの絵柄
マントにも、よく見ると細かいデザインが施されています。赤いマント部分には黄色の小さい点があるようにしか見えませんが、拡大してみると昆虫が描かれていることが分かります(下の矢印部分)。
この昆虫は蜂です。蜂は社会性があって働き者で蜂蜜まで作りますので、キリスト教会のシンボルとして使われるほどでした。これを受けて、ナポレオンも蜂を採用しました。
下の画像は、ローマ教皇ウルバヌス8世(在位:1623年~1644年)のコインです。紋章内に大きな蜂を3匹も描くくらいですから、蜂がいかに重要な存在だったかが分かります。
金貨の発行枚数
アンティークコイン情報を調べていると、ナポレオン3世の20フラン金貨に時々出会います。これは現存枚数が多いことを示していますので、発行枚数をグラフ化してみました。
なお、ナポレオン3世時代には、20フラン金貨に加えて50フラン金貨と100フラン金貨も発行されましたので、それぞれ紹介します(データ引用元:MONNAIES FRANCAISES)。
20フラン金貨
最初に、20フラン金貨です。ナポレオン3世の在位期間は1852年~1870年ですが、それ以前から発行されていますので1835年以降のグラフとしました。ナポレオン3世になってから、突如として大量生産したことが分かります。
その総数は2億4,000万枚以上ありますので、発行から100年以上が経過した現在でも相当数が現存しています。
50フラン金貨
50フラン金貨は1855年以降に発行されました。グラフを見ると、1855年から1859年にかけて一気に発行したことが分かります。50フラン金貨の製造に必要な金の量は20フランの2.5倍もありますので、大変な量の金が投入されたことが分かります。
100フラン金貨
最後に、100フラン金貨です。こちらも1855年以降に発行されました。発行枚数は20フラン金貨や50フラン金貨と比べて少ないものの、金の必要量が断然多いです。100フラン金貨も、1850年代に一気に発行されたことが分かります。
なぜ生産量が多いのか
では、なぜナポレオン3世時代の金貨発行枚数が極端に多くなったのか、グラフ等を使って考察します。
データ引用:SWCS
上のグラフは、フランスの金準備と金貨製造量をグラフ化したものです。金準備とは国家が保有している金の量で、グラフ縦軸の単位はトンです。
1850年代の金準備は増えつつありましたが、金貨製造枚数はそれをはるかに超えていることが分かります。1860年代に入って金貨発行高が落ち着いた後も、金準備は増え続けました。
ゴールドラッシュ
では、フランスに金が潤沢にあった理由を探るために、次のグラフに移ります。
データ引用:SWCS
上のグラフは、世界における1年ごとの金採掘量の変化です。グラフの左側の1840年代に急激に増えており、これはゴールドラッシュを示します。ゴールドラッシュといえばアメリカ西部が有名ですが、オーストラリアも同時期にゴールドラッシュを迎えていました。
世界に存在する金の総量が急激に増えたことが、フランスでの金貨発行枚数増に大きく寄与していると予想できます。
ただし、世界的に金の在庫が増えてもフランスが自由に使えなければ、20フラン金貨等を大量生産できません。そこで、1840年代から1860年代にかけてゴールドラッシュが起きた地域を確認します。
年代 | 地域 |
17世紀末~19世紀 | ブラジル・オウロプレート |
1830年代~1840年代が中心 | ロシア・シベリア |
1840年代~1850年代 | アメリカ合衆国・カリフォルニア州 |
1851年~1869年 | オーストラリア・ヴィクトリア州 |
1861年~1864年 | ニュージーランド・オタゴ地方 |
1860年代末 | スコットランド・ハイランド地方 |
データ引用元:HISTORY EXTRA など
フランスの領土や植民地が1か所もありませんが、カリフォルニアのゴールドラッシュではフランス人が大いに活躍しました。
当時のフランスの人口はおよそ3,500万人で、そのうちの3万人がカリフォルニアに渡りました。3万人が大西洋を渡るには、各種交通機関や宿泊施設等が整備されている必要があります。このため、フランスでは金関連で富を築いた人が出現しました。
金流通の中心地、パリ
しかし、ナポレオン金貨の発行枚数はあまりに多く、カリフォルニアのゴールドラッシュだけを根拠とするのは、少々難しいように感じます。
19世紀当時、フランスは金準備と銀準備が世界有数の水準にあり、世界中の金流通の中心地でもありました。すなわち、オーストラリアやロシア等で採掘された金がパリに集まり、取引されました。これを受けて、フランス中央銀行の地下には金の貯蔵庫があり、多額の金が眠っていました。
また、当時のフランスは経済力が大変強く、周辺各国はフランスの通貨制度を流用して採用し、ベルギーに至ってはフランスの通貨を輸入して流通させるほどでした。
(以下、予想)
このため、フランスではナポレオン金貨の形態で金が大量に貯蔵されたのではないかと予想しています。この部分については、文献で確認できたら記載します。