アンティークコインのデザインは、為政者の肖像や紋章が多いです。ところが、漫画的な絵が採用される場合があります。今回はそんなコインを紹介します。
地球に乗った羊
下の金貨は、神聖ローマ帝国(現在のドイツ)のニュルンベルクで作られました。地球の上に巨大な羊が立っていて、旗を持つ…漫画的構図ですから、人気の金貨です。なお、愛称はラムダカット(lamb ducat)で、ラムは羊、ダカットは金貨の種類を指します。
画像引用:Six Bid
この種の金貨の発行年代は、1600年代前半から1800年代初めにかけてです。その中でも、1700年前後の発行量が圧倒的に多く、上の金貨も1700年前後に発行されました。
なお、神聖ローマ帝国の貨幣といえば、銀貨が圧倒的に多いです。金貨は枚数が少なく、破格の高値になる場合が少なくありません。しかし、この金貨は現存枚数が多いため、それらに比べると桁違いに安いです。手にとどきやすい価格というのも、人気を集める理由になっています。
ラムダカットの種類
1700年を中心とする時代、様々な種類のラムダカットが大量生産されました。額面は、以下の通りです。
- 5ダカット
- 4ダカット
- 3ダカット
- 2ダカット
- 1ダカット
- 2分の1ダカット
- 4分の1ダカット
- 8分の1ダカット
- 16分の1ダカット
- 32分の1ダカット
さらに、それぞれの額面につき、円形の金貨と正方形の金貨がありました。とても種類が多いと分かります。
この金貨の疑問
ここで、疑問が出るかもしれません。「なぜ、多種多様な金貨がニュルンベルクで大量生産されたのか?」です。
これを考えるために、ニュルンベルクの位置を確認しましょう。ニュルンベルクは下の地図の赤印部分にあり、金鉱はありませんでした。では、材料となる金を、どうやって手に入れたのでしょう?
画像引用:Google Map
また、当時のヨーロッパ世界は、重商主義でした。重商主義を簡単に確認しますと、「富は所有している金の量で決まる。だから、金の輸出は厳しく制限し、逆に、金の輸入は大いに奨励しよう」です。すなわち、ダカット金貨を作れば作るほど、外部に流出してしまいます(ダカットは、貿易決済用の金貨の単位です)。
さらに、32分の1ダカットはあまりに小さいです。貿易決済用として、こんなに小さな単位が本当に必要だったのでしょうか。このカラクリは、一体どうなっているのでしょうか。コインのデザインにヒントが隠されています。
ラムダカットのデザイン
以下、両面のデザインを順に確認しましょう。
羊がある面
地球に比べてあまりに大きな羊がいて、そして旗を持っています。当時の貨幣と言えば、「表は為政者の肖像、裏は国章など」がお決まりのパターンです。というわけで、これはあまりに異質なデザインです。
この羊はキリストを示していて、キリスト教に深く関連しています。そして持っている旗には「PAX」と書かれています。ラテン語で「平和」です。キリストが、地球全体に平和をもたらすイメージを表現しているのでしょう。
余談ですが、イースター(復活祭)にも羊がつきものです。
話を戻しまして、周囲に書いてある文字は「TEMPORA NOSTRA PATER DONATA PACE CORONA」です。英語訳は「Father Crowns Our Times with the Gift of Peace」です(複数の英語訳があるようです)。「Father=父」は、キリストを示します。適切な日本語訳が難しいですが、キリストが平和な時代をもたらしてくれることを書いています。
ちなみに、この金貨には年号が書いていないように見えますが、はっきりと書いてあります。どこにあるか分かるでしょうか。正解は、下の通りです。
赤枠を付けた部分だけ、文字が大きくなっていることが分かりますでしょうか。このアルファベット4文字をつなげてみます。
MDCC
MDCCは、ローマ数字です。Mは1,000、Dは500、Cは100です。すなわち、MDCCは1700を意味します。発行年は1700年です。隠し文字で年号を示すという、遊び心がある金貨です。
紋章がある面
次に、もう一方の面を見ましょう。紋章やら鳥やらが描かれていることが分かります。
下の画像に数字を付けました。1は鳩の絵です。コインに描かれる鳥はワシなど強い鳥が多いですが、ここでは平和のハトです。そして、2と4は、神聖ローマ帝国皇帝に伝わる紋章、3は、ニュルンベルクの紋章です。
コインの周囲に書かれている文字は、「RESP. NORIMBERGENSIS SECVLVM NOVVM CELEBRAT」です。英訳すると「The Republic of Nuremberg celebrates the new century.」(ニュルンベルクが新世紀をお祝いします)という趣旨です。
すなわち、表も裏も平和とお祝いで満たされています。隠し文字で年号を表示しており、心の余裕と遊びもあります。
ニュルンベルクで大量生産された理由
金貨のデザインを踏まえつつ、元の疑問に戻りましょう。なぜ、ニュルンベルクでラムダカットが大量生産されたのか?です。
この金貨は、縁起物として人気がありました。結婚式の贈り物だったり、ニュルンベルクに旅行した際のお土産だったり、用途はたくさんあります。ニュルンベルクで金を生産していたわけではありません。旅行者などが金を持ち込んで、ニュルンベルクの職人が、その金を使って金貨を作ったのです。そして、職人は手数料をもらいます。
この方法ですと、ニュルンベルクは自分で金を準備する必要はありません。作れば作るほど、手数料で稼げます。これが、ラムダカットが大量生産された理由です。
なお、旅行者等の求めに応じて作ったので、生産数量は不明です。また、1700年だけの限定生産品でなく、何年にもわたって継続的に作られました。よって、コインには1700とありますが「1700年を中心とした時代に作られた」という理解が正確です。
ニュルンベルクは職人の町
では、ニュルンベルクには大量の金貨を作る技術があったのでしょうか。当時、ニュルンベルクは職人の町でした。時代が少し異なりますが、14世紀のニュルンベルクには、50業種の手工業に1,150名を超える親方がいました(データ引用元:「中世ニュルンベルクの国際商業の展開」)。
業種 | 親方数 |
---|---|
靴屋 | 81 |
仕立屋 | 76 |
肉屋 | 71 |
毛皮加工業者 | 60 |
金細工師 | 16 |
その他多数 |
腕利きの金細工師が何人もいて、彼らがそれぞれ金貨を作りました。また、旅行者等が持ち込む金を使って、金貨を作ります。旅行者全員が裕福というわけではありませんから、わずかな金を持ち込む人々も多かったことでしょう。よって、32分の1ダカットという少額金貨も作られました。
こうして作られた金貨が、現代に受け継がれています。
グレードが高い金貨が比較的多い
このように、旅行者はニュルンベルクまで金をわざわざ持ち込んで、縁起物の金貨「ラムダカット」を作りました。その後、持ち帰って大切に保管したり、大切な人に贈ったりしたことでしょう。もらった人も、大切に保管したと予想できます。
こうして、ラムダカットは比較的古い金貨なのに、高グレードで現存している例が比較的多くなります。羊の絵柄がかわいいという理由に加えて歴史的背景も知ると、ラムダカットへの愛着がさらに大きくなります。
この金貨なら、今の時代に結婚式や各種お祝いで贈っても、全く違和感がありません。時代背景を記したレターを添えると、さらに印象深い贈り物となるでしょう。