古代コインを眺めると、古代ギリシャのテトラドラクマ銀貨に遭遇します。2,000年以上も前のコインなのに、現代に数多く残されているのが驚きです。どれほど大量に生産され、そしてヨーロッパ世界に浸透したのかが分かります。
そこで、今回はこのテトラドラクマ銀貨を概観します。
通貨単位「テトラドラクマ」
コインの名前にある「ドラクマ」は通貨単位であり、ギリシャがユーロ加盟前に使っていたものと同じです。古代ギリシャ(紀元前400年前後)の通貨単位はドラクマ、そして西暦1900年代もドラクマ。ギリシャの歴史は大変なものです。
では、テトラとは何か?ですが、「4」という意味です。よって、テトラドラクマ銀貨とは4ドラクマ銀貨という意味です。
コインのデザイン
次に、両面のデザインを見ていきましょう。
表のデザイン
コインに描かれているのは、アテネの守護神であるアテナ神です。ヘルメットをかぶっている様子が分かります。一般的に、アンティークコインのデザインは為政者の肖像が多いです。当時のアテネは民主政治でしたので、守護神を描くのが自然だったのでしょう。
画像提供:(株)ダルマ
この横顔を、もう少し詳細に確認しましょう。ヘルメットには「たてがみ」がついています(下の赤枠部分)。アテネのテトラドラクマ銀貨は数多く残っているものの、たてがみまで完全に刻印されている例は少数です。また、たてがみがすべて刻印されているものを「フルクレスト」と呼びます。
なお、たてがみが全部入っているコインを見ると、右側の赤枠部分、すなわち鼻の先がコインからはみ出てしまっている場合があります。たてがみと鼻の先の両方がコインにしっかり残されていると、とても美しいです。さらに、コインが円形に近いと評価が高くなります。すなわち、上のコインは良質なコインということになります。
裏のデザイン
次に、裏のデザインを確認しましょう。
銀貨を手に取ってみると、コインとしては厚いことが分かります。上のコイン画像の左端と上端部分で、コインに厚みができていることが分かります。この部分があるので、コインの大きさの割には厚みがあり、かつ重量もあるように感じます。では、なぜ厚みがあるのでしょうか。
当時、刻印と刻印の間に丸く平らな銀を置いて、上からハンマーで叩いてコインを作っていました。刻印の大きさに対して、銀の量が多かったのでしょう。このため、刻印からはみ出た銀が盛り上がっています。
そして、手作りですので、刻印が銀貨にきれいに収まっていない例が大半です。すなわち、当時の人々にとって、デザインが全て収まっていることよりも、銀の量が適切であることの方が重要だったことが分かります。
では、コイン中央部のデザインを確認しましょう。
中央部のデザイン
真ん中にフクロウがいます。フクロウは、アテナ神の使いとされています。そして、アテネの象徴とされたオリーブ(矢印)と三日月(赤丸)が表現されています。右の赤枠の文字は、アテネという意味です。AOEを省略しないで書くと「ΑOΗΝΑΙΩΝ」となります。
フクロウやオリーブなど、このコインのデザインは長期間にわたってずっと同じでした。しかし、すべて手作りですので、デザインはコインごとに微妙に異なります。フクロウが首を少しかしげているものもあり、細かな違いを比べる楽しみ方もあります。
ちなみに、フクロウと言えば頭が良いシンボルとなっています。これは、アテナ神が知恵・闘争・学芸の神様であったことが由来でしょう。
高額なコイン
さて、今から2,400年も前のコインとはいえ、比較的多くの銀貨が現在に残されていますから、価値が高いものやそうでないものが出てきます。そこで、超高値になるテトラドラクマ銀貨とはどういうものか、ざっくりと見ていきましょう。
いくつかのポイントがありますが、円形に近いコインが良いです。当時はハンマーでたたきつける方法で作りましたので、コインの形は円形とは限らず、また打ち付けた際に割れ目ができたりと、まさに手作り感たっぷりです。
よって、きれいな円形だと「おお~、美しい…」となります。
また、古いコインですから、どうしても摩耗がひどくなります。このため、摩耗がないほど価値が高くなります。例えば、製造後まもなく壺で保管したら忘れ去られてしまい、2,000年の時を経て発掘!となったら最高です。
そして難易度が結構高いのが、デザイン全てがコインに収まっているかどうかです。下の左側の赤枠、ヘルメットの羽部分が全て刻印されているか、そして、右側は鼻の頭までしっかり刻印されているか。デザインが全部入っているコインを見つけるのが意外に難しいです。
もしも完璧なテトラドラクマ銀貨がオークションに出てきたら、コレクターが争うのでびっくりする高値がつくかもしれません。なお、下の銀貨はかつて(株)ダルマで販売されたものです。完璧なフルクレストであり、かつ、摩耗も極めて少ない高品質コインです。当記事執筆時点で購入するなら、100万円近くになるだろうと思います。
アテネの敗北とコイン
ちなみに、都市国家アテネは永遠の繁栄を誇ったわけではなく、紀元前400年くらいには衰退を始めました。その痕跡が、コインにも残されています。下のコインを見ますと、両面に大きな傷がついていることが分かります。これは何でしょう?
画像引用:Six Bid
この傷は、アテネがペロポンネソス戦争で負けた際に、都市国家「スパルタ」によって楔(くさび)を打ち付けられてできました。ペロポンネソス戦争とは、アテネとスパルタとの間で起きた戦争で、紀元前431年~紀元前404年の長期間にわたって続きました。
アテネの守護神であるアテナ神と、その使いフクロウを傷つけることによって、アテネ市民にアテネの没落を印象付ける効果があったと予想できます。また、テトラドラクマ銀貨は古代ギリシャ世界全体に広く流通しましたから、当時の世界全体にアテネ時代の終わりを告げる効果もあったことでしょう。
コインに残された傷を見て想像するだけでも、当時のギリシャ世界の混乱した様子がぼんやり頭に浮かんできます。
古代ギリシャの地図
古代ギリシャの地図を使って、アテネとスパルタの位置関係を確認しましょう。現在のギリシャを赤枠で囲っています。
画像引用:GoogleMap
そして下の地図は、紀元前400年代の古代ギリシャの様子を示したものです。
画像引用:ToughtCo
赤色はアテネとアテネの同盟国、青色はスパルタの同盟国、灰色は中立国で、緑色はギリシャ世界以外の国々、黄色はペルシャです。都市国家の同盟国はきれいに東西に分かれていたのではなく、複雑に絡み合うように分布していたことが分かります。
アテネ敗北後のテトラドラクマ銀貨
こうして、アテネの覇権は終了しました。しかし、アテネ自体は消滅したわけでなく存在し続けており、紀元前300年代に入ってもテトラドラクマ銀貨は作られ続けました。下の銀貨が、それです。似たようなデザインですが、明らかに従来とは異なります。
画像引用:(株)ダルマ
このデザインをどのように表現するのが適切か、難しいところです。率直な感想としては、アテナ神は従来よりも人間的になったように見えます。フクロウは、ボサボサ頭…あるいは野性的という方が適切でしょうか。従来の「すました感じ」とはずいぶん違います。
そして、ギリシャは何十年も内部で戦争を続けたため疲弊してしまい、マケドニア王国の支配を受ける結果となりました。マケドニア王国の第2代の王が、有名なアレクサンドロス大王です。下の地図の通り、彼は東地中海からインド西部までを広く治め、ギリシャのテトラドラクマ銀貨がこの地域にも広く浸透しました。
画像引用:Wikipedia