ペルーのアンティークコインを見ると、アルファベット2文字の組み合わせが書いてあり、あたかも暗号のようです。また、コイン販売ページ等を見ると、このアルファベットが何の注釈もなく書いてあります。
例として、フェルナンド7世の8エスクード金貨で確認しましょう。左側赤枠に「ME」、右側に「JP」とあります。
画像引用:(株)ダルマ
各種コインのカタログを見ても、ペルーの解説部分に「ME」「JP」のような見慣れないアルファベットが並んでいて、種類はいくつもあります。この記号は何でしょうか。歴史を振り返りながら、確認しましょう。
また、ペルーとスペイン本国は距離が遠く、情報のやり取りが簡単ではありません。これが引き起こした興味深い現象を2つ、紹介します。
造幣所記号と検査官の名前
このMEとJPの意味は、それぞれ以下の通りです。
- ME:造幣所記号
- JP:検査官(assayers)2名の名前
MEとは、ペルーの首都リマを示します。当時、リマに造幣所がありました。また、リマの表記方法はMEだけでなく複数あります。そして、右側の赤枠に「J・P」とあります。当時の検査官2名の名前は、以下の通りです。名前の最初のアルファベットを書いています。
- J:Juan Martinez de Roxas
- P:Pablo Cano Melgarejo
現代だったら、彼らの容姿を写真や動画で確認できるでしょう。しかし、当時そんな技術はもちろんありません。名前だけが残っています(もしかすると、肖像があるかもしれませんが)。
検査官(assayer)とは何か
では、検査官(assayer)とは一体何でしょうか。assayerを辞書的に訳しますと、「金属の品質を検査する人」です。
一般的に、為政者以外でコインに名前を書かれるのは、コインをデザインした人が多いでしょう。あるいは、フランスのように造幣局長名が書かれる場合もあります(文字でなく、絵で表現されます)。では、検査官が表示されたのはなぜでしょうか。
ペルーのコイン「コブ・マネー」
これを知るために、ペルーのコインの歴史をざっくりと確認しましょう(現在のペルーは、緑色で塗った部分です)。
ペルーは南アメリカの西部にあり、太平洋に面しています。16世紀に入り、南アメリカはスペインとポルトガルの支配下に入りました。ブラジルの東半分を除いて全てスペイン領、というイメージです。そして、南米では貴金属がたくさん見つかりましたので、スペインは早くヨーロッパに持ち帰って使いたいです。
ところが、ペルーからスペインまでは距離がありますので、持ち運びに時間がかかります。本国に持ち帰ってからゆっくりと金貨・銀貨を作っていたのでは、じれったいです。そこで、見た目の品質よりも、大量生産を重視してコインを作りました。いわゆるコブ・マネー(cob money)です。
コブ・マネーとは、貴金属を細長い棒状にして一定の重量で輪切りし、その輪切りした金属に刻印して出来上がり!という作り方です。下が、ペルーの首都リマで作られたコブ・マネーです。同時期の他国のコインに比べて円形でありませんし、刻印もいい加減という感じがします。
画像引用:(株)ダルマ
コインのスペック
- 発行国:ペルー
- 額面:8エスクード
- 年号:1734年
- グレード:VF
- 材料:金
実際に手に取りますと、コインに厚みがあって独特の重量感があります。これがコブマネーの魅力です。コブマネーは、現代の基準で考えると適当な作りに見えます。それでも、コインの品質を最終的に確認する工程がありました。その役職が、検査官です。
検査官の不正
この検査官の任期は1年で、立候補制でした。そして複数人が立候補した場合には、「よりたくさんのお金を支払った人」を検査官に任命しました。すなわち、立候補者はお金で役職を買ったというわけです。
なぜ、お金を支払ってまで検査官になろうとしたのでしょうか。名誉が欲しかったのかもしれませんが、儲かるからという理由もあったでしょう。コインとは、お金そのものです。検査官は、その品質を自分の判断で決められるという役職です。
- お金の品質の最終責任者
- お金を出して役職を買う
この条件が揃うと、何が起こるでしょうか。それは「コインの品質を不正に悪化させる」です。コインの品質をこっそりと悪化させて、しかし、品質は基準を満たしていると認定します。その差額は、検査官の懐に入るという仕組みです。検査官になるために支払ったお金が多ければ多いほど、不正の度合いも大きくなっていったことでしょう。
しかし、こういった不正は、いつの日かバレてしまうものです(バレてしまったから、こうして記事に書けます)。
とはいえ、コブ・マネーはもともと高品質とは言い難いですし、刻印も全体の一部しかありません。よって、特定の不正コインをいつだれが作ったのか、見た目で判断するのは大変です。
コブ・マネーの生産終了
そこで、1730年に本国スペインで法律が作られ、品質が高い金貨・銀貨を作ることになりました。しかし、ペルーはスペイン本国から遠く離れており、最新鋭機器もないので高品質のコインを作るのは簡単ではありません。
よって、コブ・マネーは1700年代半ばまで製造されました。1750年代になってようやく、この記事の冒頭のような高品質なコインが登場しており、法律を適用するのに20年もかかってしまったのです。
そして、今までの経緯があります。本当に高品質なコインが作られるかどうか不安です。そこで、以下の対策も取られました(この対策自体は、1600年代から徐々に採用されてきたものです)。
- 年号の明示
- 造幣所の明示
- 検査官の明示
この経緯があって、検査官の名前がコインに書かれています。不正なコインが見つかれば、誰が検査官だったか簡単に分かります。すなわち、検査官の名前を刻印するのは、不正防止のためでした。コインに名前が書かれるのは、通常は名誉なことです。ペルーの場合も名誉なことだったろうと予想できますが、別の意味もあったことが分かります。
その後、ペルーは1821年に独立を宣言します。検査官の名前を刻印するスタイルは継続したものの、20世紀には消えることとなりました。もう不要になったからでしょう。
フェルナンド7世の金貨のデザイン
では、冒頭でご案内しました金貨のデザインを見ていきましょう。表側はちょっとした小話があるので、先に裏側からです。
裏側
真ん中にある盾は、ハプスブルク家の紋章です。ハプスブルク家は一時の勢いがなくなってきたとはいえ、広大な土地を治めていました。よって、紋章には多くの地域が描かれています。
また、盾を囲んでいるものは、スペインの最高勲章である金羊毛勲章(the Order of the Golden Fleece)です。この勲章は15世紀に制定されており、長い歴史があります。頸飾(けいしょく・首輪)にぶら下がっている勲章は、羊をデザインしたものです。
画像引用:Wikipedia
表側
コインのスペック
- 発行国:ペルー
- 額面:8エスクード
- 年号:1810年
- グレード:AU/UNC
- 材料:金
表側は、スペインのフェルナンド7世(在位:1808、1813~1833)の肖像です。周囲に書いてある文字は「FERDIN VII D G HISP ETIND R」、英語で”Ferdinand VII by the grace of God King of Spain and the Indes.”です。日本語に訳すと「神の御加護によりスペインとインド諸島を治めるフェルナンド7世」という趣旨です。
この肖像は誰?
最後に、フェルナンド7世の肖像について、小話を紹介します。
ペルーとスペインは大西洋を挟んでいますので、お互いの意思疎通に大変な時間を要します。例えば、1730年にコブマネーの製造が禁止されたのですが、1751年になってようやく高品質金貨が流通するようになりました。製造機器をペルーに導入するのに時間とコストがかかるとはいえ、20年以上もの時間を要しています。
似たような問題が、フェルナンド7世の肖像にも起きています。1808年、当時の国王だったカルロス4世が民衆蜂起を受けて退位すると、フェルナンド7世が即位しました。しかし、当時のヨーロッパはナポレオン戦争中で大混乱です。フェルナンド7世の肖像は、ペルーにやってきませんでした。
しかし、コインは作らねばなりません。そこで、職人は想像力を働かせて肖像を描きました。すなわち、上の金貨の肖像は、フェルナンド7世の実際の顔と違います。この状態は、1812年まで続きました。1813年になってようやく、正確な肖像でコインを発行できるようになりました。下のコインが、それです。
画像引用:日本コインオークション
比較しやすいように、1810年のコインを下に再掲します。髪型はもちろんのこと、頭・耳・眉・鼻など、あらゆる点が異なります。現代と違って、情報のやり取りがいかに難しかったかが良く分かります。これを受けて、1812年までの肖像を「imaginarios」(イマジネーション)と呼びます。