貨幣の流通という点において、イギリスは、18世紀から19世紀初めにかけて混乱状態にありました。18世紀のイギリスといえば、産業革命です。世界に先駆けて機械化を達成し、19世紀の覇権につながりました。そんな中の混乱とは、いったい何でしょうか。
極端な貨幣不足
混乱の原因は、貨幣不足です。下の銅貨はイギリスで発行されたものです。しかし、正式な貨幣でありません。トークン(代用貨幣)と呼ばれ、私企業等が発行したものです。イギリスの造幣局「ロイヤルミント」が貨幣をほとんど発行しなかったため、私企業などが仕方なく自前でトークンを作って流通させました。
コインのスペック
- 額面:1ペニー
- 年号:1797年
- 材料:銅
- 直径:33mm
また、下の銀貨は、スペインの銀貨にカウンターマーク(カウンタースタンプ)を打ち付けたものです。上側の写真の真ん中に、小さな刻印があります。ちょうど首のあたりにあるので、何だか痛そう…。
ロイヤルミントは、自前で銀貨を製造できず、保管していた外国の銀貨に小さな印をつけて流通させました。ちなみに、この小さな刻印の中に描かれているのは、時の為政者ジョージ3世です(在位:1760年~1820年)。
コインのスペック
- 額面:1ドル
- 年号:1797年
- 材料:銀
- 直径:39mm
私企業等が勝手にトークンを発行したり、外国の銀貨にカウンターマークを押したり。産業革命真っ盛りのイギリスで、なぜこんなことが起きてしまったのでしょうか。銀貨と銅貨それぞれについて、概観します。
イギリスのお茶好きと銀不足
イギリスの皆さんは、紅茶好きです。イギリスに元々お茶の文化があったわけではなく、17世紀にオランダが中国から持ち込んだのが始まりです。それが、18世紀になるとイギリスで広く受け入れられました。
こうして、イギリスは中国(清)との貿易でお茶を輸入するようになりましたが、問題がありました。清にとって、イギリスから輸入したいものがなかったのです。そこで、イギリスはお茶の対価として銀を支払いました。これが、悪手。
お茶は、毎年のように生産できます。清にとって、素晴らしい輸出品です。一方、イギリスはお茶をどんどん消費しますので、次から次へと輸入したいです。ところが、銀の保有量には限りがあります。植民地の米大陸からも銀を送りますが、簡単に生産できるわけではありません。
こうして、イギリス国内の銀は減っていきました。
あまりに減ってしまったので、イギリス国内の銀貨が大きく不足する事態になりました。銀が不足すれば、銀価格は上昇します。ロイヤルミント(造幣局)としては、本来は銀貨を作って国内に流通させたかったはずです。しかし、銀貨の額面より金属としての価値の方が高くなってしまい、生産できず。
金属の価値が高すぎると
例えば、500円玉は500円の価値があります。ここで、500円玉は銀で作られていると仮定し、そして、銀としての価値は1,000円だとしましょう。この場合、500円玉を500円として使う人は、誰もいません。
500円玉を手元に保管しておくか、あるいは金属の価値で業者に売り払って儲けます。業者は、銀貨を溶かして別の用途に使います。すなわち、造幣局が貨幣を作っても無駄になります。
結果、摩耗しきった銀貨や、銀含有量が少ない偽造銀貨が流通します。しかし、そちらの方が額面価格と金属価格が釣り合っているかも?という変な事態に。
こうして、摩耗した銀貨や偽物の銀貨ばかりが流通する事態となりました。皆さん、良質な銀貨を使うのはもったいないので、良質な銀貨はタンス預金行きです。
ここに、さらに追い打ちをかける事態が発生しました。1789年のフランス革命です。ヨーロッパ中が大混乱。ここまで混乱すると、ロイヤルミントとしても手を打たないわけにはいきません。
そこで、1797年、銀貨の在庫を放出しました。ただし、スペイン製の銀貨等でしたので、カウンターマークを付けて国内用のお墨付きを与えました。製造コスト等を考えると、スペイン製銀貨を溶解して自国の銀貨を作る余裕はありませんでした。
しかし、需要に対して供給量があまりに少なく、焼け石に水だったようです。また、簡易な作りですから、詐欺師の格好のターゲットとなり、偽造品が横行する事態となりました。
三角貿易とアヘン戦争
世界に先駆けて産業革命が進展し、世界最高の技術と生産力を持っている。しかし、銀が不足しているし、お茶は欲しい。ここで、イギリスは考えました。世界史でおなじみの、三角貿易です。
イギリスから、植民地インドに綿製品を輸出します。そして、インドから中国にアヘン(麻薬)を送り、中国からイギリスにお茶を送ります。この貿易なら、イギリスの銀は減りません。また、アヘン中毒の人々は次々にアヘンを買ってくれますから、銀も得られます。
こうして、イギリスにとって事態は好転しましたが、清にとっては大変です。アヘンが蔓延すると、国が滅びます。そこで、清はアヘンを取り締まり、イギリスに対しても強気に出たのですが…アヘン戦争勃発。イギリスは産業革命で圧倒的な軍事力を持っており、清は連戦連敗。これをきっかけに、清は列強のなすがままになっていきます。
清の主張は正当だったのですが、適切な武力を持って初めて、主張は通ります。清にとっては、残念ながら武力が劣りました。
銅貨も大幅に不足
イギリスは、銀貨だけでなく銅貨も大幅に不足してしまい、日常生活に支障が出ました。銀貨不足の大きな理由は、中国との貿易です。一方、銅貨不足の理由は、銀貨と異なります。
貨幣の需要が増加
18世紀といえば、イギリスでは産業革命の時代です。産業革命は生産方式の近代化だけでなく、人々の生活様式も劇的に変えました。
従来、多くの人々が田舎で暮らしていました。農業で生計を立てていましたので、自給自足という人が多かったでしょう。地方では細々とした手工業も盛んでしたので、衣服等も自力で何とか調達できたかもしれません。すなわち、貨幣がなければないで、何とか生活できたはずです。
しかし、産業革命の時代になると、地方の手工業は大幅に廃れました。多くの人々が都市部の工場に集められ、機械化した産業が発達しました。すると、従業員に支払う給料が必要です。その給料で、食料品や衣類等を買います。
こうして、貨幣の需要は劇的に上昇しました。また、この時期には人口増加率も高くなりました。人口が増えれば、貨幣の需要も増えます。
ちなみに、日常生活で使う貨幣は、銅貨です。銀貨は高額すぎます。そこで、ロイヤルミントは銅貨を増産した…のではなく、1775年を最後に生産を停止しました。生産を再開したのは1821年のことです。
40年以上もの間、ロイヤルミントは何をしていたの?という感じがします。生産したくてもできない状況がありました。
偽物が横行
当時、イギリスでは偽の銅貨が流通していました。偽物が多いとはいえ、本物が圧倒的多数派なら、ロイヤルミントは銅貨を製造したことでしょう。しかし、ある調査では、大半が偽物だったというほどの惨状でした。
ロイヤルミントが銅貨を発行しても、偽物を作る人々の技術が高く、本物が簡単に駆逐されてしまいました。それほど、ロイヤルミントの技術に問題があったということです。ロイヤルミントに対抗手段はなく、1754年に銅貨を発行した後、生産を一旦停止して状況を傍観することにしました。
とはいえ、国民の銅貨需要は増加する一方であり、世の中に流通している銅貨は偽物だらけです。これは良くないと思い立ち、改めて1770年から銅貨を製造しました。
結果は、惨敗。偽物製造者の能力が勝り、1775年の発行を最後に、ロイヤルミントは銅貨の製造を放棄しました。
ちなみに、偽物コインの製造は、当時ももちろん重罪です。犯罪者集団にとって、逮捕されるリスクよりもメリットの方が大きかったということになります。
私企業等がトークンを発行
さて、ロイヤルミントの敗北で、本当に困ったのは一般国民です。貨幣は必要、しかし、摩耗しつくしてデザインが消えたコイン、偽物のコイン、そんなのばかりです。
そこで、各私企業は考えました。「コインを作るのは犯罪だ。ならば、自前のデザインで発行すれば良いのでは?」です。正式な貨幣と同じデザインで作ると犯罪でしたが、独自デザインならOKだったのです。
そこで、各企業は自分でトークン(代用貨幣)を作りました。従業員に代用貨幣を支給し、それを使って自社製品を買ってOKという仕組みです。あるいは、通常の銅貨と同じように流通しました。
また、公式のコインと違い、額面と金属の価値を釣り合わせる必要はありません。そこで、企業にとってはコストもかからず、良い方法でした。
こうして、イギリスで多種多様なトークンが流通することになりました。やむを得ないとはいえ、日々の生活で無数のトークンを使うのは、とても不便だったことでしょう。
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車輪銭の登場
この状況に対して、救世主が現れました。Matthew Boulton(マシュー・ボールトン)です。彼はイギリスの実業家で、技術者の James Watt(ジェームス・ワット)の協力を得て工場を経営していました。彼らが、高品質な銅貨製造に成功したのです。
彼らの銅貨は品質が高く、海外から貨幣製造を何件も受注するほどでした。
この実績を引っ提げて、彼らはロイヤルミントと交渉しました。8年もの年月を費やしたのち、やっと貨幣製造の許可を得ました。こうして1797年に発行されたのが、通称「車輪銭」です。銅貨の周囲が盛り上がっていて、これが車輪のように見えることから、名づけられました。
コインのスペック
- 額面:2ペンス
- 年号:1797年
- 材料:銅
- 直径:40mm
- グレード:PF UNC
これが大変な高品質で、多くの偽物業者は同じものを作れなかったようです。新銅貨の発行と同時に旧銅貨を回収して、イギリスの通貨危機は収束に向かいました。
現代の紙幣にも描かれる
救世主 Matthew Boulton と James Watt の存在は、イギリスにとって極めて大きかったようです。イギリスの50ポンド紙幣に肖像が描かれています。下側の面の左側が Matthew Boulton、右側が James Watt です。二人の間の建物は、コインを作った場所(Soho Mint)です。
画像引用:Bank of England