下に、2枚の小判を並べました(左側が表、右側が裏)。色がやや異なることが分かるものの、この画像だけでいつの時代に作られたものか判断するのは、プロやマニアでない限り難しいでしょう。
画像引用:(株)ダルマ
しかし、各時代ごとに、大きさや金の含有量などで大きな違いがあります。そこで、各時代の小判の品質や製造方法などをご紹介します。なお、上の2枚の小判は、上側が天保小判金、下は万延小判金です(以下、データは『日本貨幣カタログ』からの引用です)。
小判を時代別に比較
以下、小判を比較します。比較項目は、製造年代、金含有量、量目(重さ)、鋳造量です。
元号(年代)別 小判一覧
下の表は、江戸時代に作られた小判の一覧です。数多くの種類があると分かります。コレクターとしては、全種類を集めるのが目標になるかもしれません。
名称 | 年代 | 元号 |
---|---|---|
慶長小判金 | 1601-1695 | 慶長6年-元禄8年 |
元禄小判金 | 1695-1710 | 元禄8年-宝永7年 |
宝永小判金 | 1710-1714 | 宝永7年-正徳4年 |
正徳小判金 | 1714 | 正徳4年 |
享保小判金 | 1714-1736 | 正徳4年-元文元年 |
元文小判金 | 1736-1818 | 元文元年-文政元年 |
文政小判金 | 1819-1828 | 文政2年-文政11年 |
天保小判金 | 1837-1858 | 天保8年-安政5年 |
安政小判金 | 1859 | 安政6年 |
万延小判金 | 1860-1867 | 万延元年-慶応3年 |
なお、上の表以外にも「佐渡小判金」があります。文字通り佐渡で作られていた小判であり、製造期間も鋳造枚数も不明です。小判としては高い価格で取引されていることから、現存枚数が少ないことが分かります。
金の含有量と量目
次に、小判の品質を比較します。品質とはすなわち、金の含有量です。「小判=金(きん)」というイメージですが、金100%で製造されたわけではありません。そこで、金の含有量(品位)を%表示したグラフと、小判の重さ(量目)のグラフで比較してみましょう。
金の含有量を見ますと、享保小判金までとそれ以降では金含有比率が20%以上も違うことが分かります。また、量目を見ますと、さらに劇的な変化が分かります。特に、万延小判金が劇的に小さいです。
この理由ですが、万延小判金が作られた時代を確認すると分かります。1860年から1867年にかけて鋳造されましたから、幕末の動乱期です。
江戸時代、幕府は鎖国をしていました。一部でオランダや中国等との貿易がありましたが、世界の潮流から取り残された状態で200年以上過ごしてきました。この状態から、いきなりの開港です。
日本は、200年以上も世界との接触が乏しいまま過ごしてきましたので、色々な点で世界標準とかけ離れていたことでしょう。金銀についても例外ではありません。日本では、金銀の交換比率が世界標準と大幅に異なっていました。このため、金が一気に海外に流出してしまいました。それを防止するために万延小判金を鋳造し、小判の金としての価値を3分の1くらいに落としました。
金銀の交換比率
江戸時代末期の金銀交換比率は、概ね金1に対して銀5くらい(正確には4.65くらい)でした。一方、当時の世界主要国では、金1に対して銀15くらいでした。
- 日本[金:銀=1:5]
- 世界[金:銀=1:15]
すなわち、欧米各国としては、銀を大量に日本に持ち込んで金と交換し、金を海外で銀に交換するだけで簡単に儲かります。実際にこれが起きて、日本から金が大量に海外に流出しました。
そこで、万延小判金を鋳造しつつ、金銀交換比率を欧米並みに修正しました。これによって、金の海外流出が落ち着きました。
小判の鋳造量
次に、小判の鋳造量を確認しましょう。下のグラフをご覧ください。正徳小判金の鋳造量が圧倒的に少ないです。これは、製造期間がわずか4か月間くらいしかなかったためです。
その他、安政小判金と万延小判金の鋳造量も、大幅に少ないことが分かります。幕末の混乱期をそのまま表現している数字だと言えそうです。
なお、新しい小判ができると、幕府は古い小判を回収しました。このため「小判の鋳造量=現在の残存数」にはなりません。
幕府が一般の人々から小判を回収して新小判を渡そうとしても、一般の人々にとってメリットがなければ、わざわざ交換してくれません。そこで、交換した人が少し儲かるような比率で交換しました。交換するだけで儲かるならば、世の中の人々は積極的に交換に応じるでしょう。
すなわち、鋳造量は多くても、古い小判になればなるほど残存数は少なめになるだろうと予想できます。幕末期、日本の金は海外に流出しましたので、さらに現存数は少なくなります。
小判の作り方
ここで、万延小判の画像をもう一度見てみましょう。この小判は金の割合が低いですが、金色でキラキラしています。なぜでしょうか。
その理由は、小判の製造方法にあります。小判の製造方法を大まかに4つに分けますと、以下の通りになります。
- 小判用金属の板(棹金)を作る
- 棹金を切って成型し、小判の形にする
- 色付(いろつけ)して、黄金色にする
- 品質検査
なお、色付につき、小判の上から色を付けているわけではありません。金の成分を小判の表面に浮き上がらせることによって、黄金色の輝きを作っています。すなわち、小判の表面は金が多く、内部になるにつれて銀が多くなります。これらの工程を絵で確認してみましょう。国立公文書館からの引用です。
棹金(さおがね)作り
下は、棹金を作っている様子です。右の人は、高温の炉に金と銀を入れて溶かして混ぜ、真ん中の人は、液体になった金銀の化合物を、棒状の型に流し込んでいます。そして左の人は、固まった金属を冷やして次の工程に運びます。
小判の形に成型
作った棹金を決められた大きさに切り、成形します。小判の形になっていることが、下の絵で分かります。
黄金色に色付
小判の表面に薬品を塗って焼き、水で一気に冷やして刷毛でこすることで、小判を金色にします。刷毛でこすりますから、新品でも傷だらけです。よって、小判を買う時にあまりにきれいな物だったら、「偽物では?」と疑うことができます。
検査
工程の終盤で、責任者のチェックを受けます。上三枚の絵と比較しますと、服装が明らかに異なることが分かります。
小判の価格
最後に、アンティークコインとして小判を見る際の価格を考えましょう。価格が決まる要素は、概ね以下の通りです。
- 歴史の古さ
- 現存数の多寡
- 金の含有量
- デザインの人気度
- 刻印の文字 など
万延小判は鋳造量が少ないものの、金含有量が圧倒的に少ないことに加えて、慶長小判等と比べて遠い昔の小判とは言えません。現存数も比較的多いため、他の小判と比べて価格は安い傾向にあります。逆に、元禄小判金や正徳小判金などは、希少性もあって価格が高い傾向があります。
なお、刻印の文字につき、「験刻印」と呼ばれる刻印が小判裏側の左下に2つ押されます。製品をチェックしましたという意味であり、この文字が偶然「大」と「吉」になったものが稀に存在します。「大吉」となって縁起が良いこともあって、オークションなどに出品されると高値が付く傾向があります。
下の画像は、元文小判金の裏側です。右側の画像は、左側の小判にある験刻印部分を拡大したもので、「大吉」になっていることが分かります。配置があまりに美しく並んでおり、これは偶然でなく、献上用に意図的に大吉になるようにしたものです(献上大吉と呼びます)。